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門馬 和夫さん (前編)

Moderna - 19 July 2023

福島県南相馬市市長門馬和夫さん<前編>

人の営みが続く場所、南相馬の100年先を想う

 Kazuo Monma

<前編>

東日本大震災で未曾有の災禍を被った福島県南相馬市。10年以上経った現在、建物やインフラなど目に見える復興は順調に進む一方、震災に起因する問題はまだまだ内在しています。

現在2期目の南相馬市長、門馬和夫さんは当時、南相馬市役所の経済部長を務めていました。震災直後から復興に向けて東奔西走し、2期目を務めている現在も市政を担う立場から南相馬市の未来を築こうとされています。復興の困難さを身をもって知ったうえで、なお重責を負い、最前線に立つ。それほどまでに復興に懸ける門馬さんの想いと、想いを支える“つよさ”を紐解いていきます。

暗中模索の復興。その一方で未来に向けての取り組みも

2011年当時、市役所の経済部長として農業·水産業·工業·商業の振興、企業誘致など、市内の経済活性化を担っていた門馬さん。

 「それが震災と原発事故で全部駄目になりました。南相馬市の最南端は、福島第一原発からわずか10キロメートルほど。市内には、避難指示や屋内退避指示が出されました。米作りができない、漁に出られない、畜産業はストップ、もちろん工場は稼働できず、商店も開けられないという状態。経済部長としてはまったく無力さを感じざるを得ませんでした。でもやらなければいけないことは山積みでした。例えば、避難指示区域に入れない状況下で家畜に餌をやるための立ち入り許可を出したり。また、支援物資の取りまとめと分配も、膨大な量で大変でした。支援物資の中でもガソリンは需要が高く、その手配をするまでにガソリンスタンドに並んだ行列を整理する警備員のようなこともしました。避難所も数ヵ所受け持っていましたし、本業はストップし、それ以外の仕事に追われていましたね。役所としてここまでやってしまっていいのかと判断に迷うケースもありました。復興のためといえば聞こえが良いですが、誰もがなんでもやらざるを得ない状況でした」。

Cars at gas station

震災後、ガソリンを求める長い列を整理する仕事も市職員が担っていた

突如遭遇した未曾有の事態に、誰も明確な答えや正しい公式を持たないまま手探りで対応するしかなかったとのこと。そんな中で唯一、経済部長としてできたことは経済状況の調査。特にこれからの雇用状況については大いに危機感を持っていたといいます。

 「そもそも雇用の元である企業が動いていない、あるいは市外に移ってしまったため、1万人、2万人の仕事がなくなっていました。それまでは企業誘致も担当していましたので、企業に南相馬市に来てもらう大変さは理解していましたし、一旦外に出てしまった企業はそこで根を下ろしてしまって、戻って来る保証がないという状況で、なんとかしないといけないという想いが募っていきました」。

 いずれ市全体の復興計画が立てられる際、雇用創出に関わる計画をすぐに提出できるよう、門馬さんはさまざまな部署の若い世代を中心に声をかけ、2011年の4月頃から話し合いの場を設けました。

 「日中はみんな復旧作業に追われていますから、集まるのは夜落ち着いてから。若い人たちが『思い切ったことやっぺ!』と意見を出し合いました。国から経済産業省の職員も来られていたので、具体的な計画の立て方をイロハから教わっていましたね。一方で市民のほとんどはまだ住まいもはっきりしておらず、遺体捜索も続いていた状況。こんな先の話をしていていいのかと、罪の意識もありました」。

 悲しみ、苦しみの真っただ中にあり、そんな想いからまだまだ抜け出せず先の見えない状況。それでも次へ踏み出そうという門馬さんの取り組みは、深い傷を負ってなお南相馬市で暮らしていきたいという若い世代の人々を勇気づけていたのかもしれません。

「もっと南相馬の未来のために」の想いで市議会議員、そして市長へ

2014年、門馬さんは市議会議員に立候補しました。その決意にはどのような想いがあったのでしょう。

 「定年で退職することになって、さてこれからどうすべきかと考えました。もし震災がなければ、地元でゆっくり地域のお世話をするのだろうなと思っていたんですが、この状況下で完全に今の仕事を辞めるわけにはいかないと。正直ちょっと一休みしたいというのもあって、一旦落ち着いて自分に何ができるのか、南相馬市の復興にどうやって寄与できるか考えていました。その年の11月にちょうど市議会議員選挙があったんです。現場に入っていろいろやるのも良いのですが、市議会議員なら元職員の経験を生かしてより広く復興に携われると思ったのと、応援してくださる方もいて立候補を決意しました」。

 見事当選し、晴れて市議会議員となった門馬さん。職員として現場にいた頃と議員の立場では、見えるものが変わったのでしょうか。

 「市役所では部や課で区分けされ、特定の範囲の業務に携わります。議員は市政のすべての決定に関わる立場ですが、震災のときに自分の専門外の分野にも多く携わってきたので、議員としてやるべきことの範囲の広さに戸惑うということはなかったです。ただ、ジレンマはありました。職員なら分野は限定されますが、自分がやりたいことをゼロから組み上げられます。でも議員は広く市政全般に関われますが、自分では作ることができない。できあがった計画を実施するか否か最終的に予算で判断するのが仕事です。条例の立案など自分で作れないことはないのですが、もどかしさのようなものは感じていました」。

 議員としての役割はもちろん理解していたものの、これまで政策を作り上げる立場にいた身としては、歯がゆい思いもあったようです。またさまざまな政策を決定していく中で、疑問も浮かんできたといいます。

 「復興事業が徐々に進んできてはいましたが、国や県からの指示や、目の前の課題への対処的な取り組みが多いように感じていました。直面していることへの対応だけじゃなく、視点をもうちょっと先に置いて、今は我慢しても将来のためになるような復興事業が必要なんじゃないかと。復旧はもちろん大事なんです。でも例えば市民の拠り所になるような拠点を作るとして、それだけで終わっていいのか。もっと長期的に見て、人を集めて、地域を活性化するための拠点を構想した方がいいはずという想いがだんだん強くなっていきました」。

 復興の方針を決め、その指揮を執るには、さらに立場を変えるしかありません。門馬さんは市議会議員を3年務めたのち、2018年に市長選へ出馬し当選を果たしました。

 「市長はなんでも最初に取り組んで方向性を決め、そして最後に責任を負う立場。判断に迷うこともありますが、“誠実に、市民を裏切らない”という想いを軸に、将来のためにどちらが役立つかを考え抜き、決断しています」。

Kazuo greeting

2018年1月、南相馬市長に当選し初当庁

復興事業にも影響を及ぼした新型コロナウイルス

 市長1期目のさなか、新型コロナウイルス感染症が発生。復興事業に水を差すような、前例のない対応を迫られる事態に戸惑いながらも、収束に努めました。

 「最初はこんなに長引くとは思っていませんでした。2020年の4月に市内で1名が感染し、県内では6例目。比較的早い段階で感染者が出て、大きな問題になりました。日に日に深刻さが増して、しかも明確な解決策もなく、暗中模索の状況が一番大変でしたね。対応としては、希望者全員がワクチン接種をできるよう早急に手配したのと、無料のPCR検査センターを設置しました。早期発見、早期対応による感染拡大予防に、市を挙げて取り組みました」。

 ワクチン3回目の交互接種にも自治体としていち早く名乗りをあげ、市民への説明も合わせてスムーズに対応できたそう。正解のない復興事業とは違い、コロナ禍は時間とともに有効な対策が確立されてきました。とはいえ、やはり復興のブレーキになったことは否めません。

 「復興事業の一環で移住者を誘致していて、南相馬市を知ってもらうために交流会を開いていましたが、それができなくなり、交流が途絶えてしまいました。また地域のコミュニティーも新型コロナウイルス感染症で分断されてしまいました。震災直後は避難で市外に人が流れたり、仮設住宅に引きこもりがちになって、人と人との交流が少なくなりました。徐々に人が集まれるようになって、行政区の話し合いをしたり、高齢者の健康づくりのためのサロンを開いたりできるようになってきたところへ、新型コロナウイルス感染症対策で密を避けなければいけなくなりましたから。復興事業にとっては阻害要因でしかないですね。最近になってやっとそれらが再開し始めたところです」。

 また門馬さん個人も、コロナ禍で大変な思いを強いられたそうです。

 「2期目の市長選に向けて選挙活動をしているさなかに、私が感染してしまったんです。集団の会食が感染リスクを高めるとのことだったので、活動中は人が大勢いる事務所で食事を摂らないようにしたり、いろいろ対策をしてきたつもりだったのですが、避けられませんでした。しばらく活動できないだけでなく、コロナ対策も争点の1つとして政策を訴えていたのに、私自身がかかってしまって。感染が判明したときは真っ青になりました。でも後援会の皆さんが『自分が選挙カーに乗ってしっかりやっから、休んでろ』と言って支えてくれました。また私自身も、今回の選挙は新しい政策を訴えるというよりも、これまでの4年間を市民の皆さんに評価していただく選挙だという心境になりました。ですから皆さんに認めていただいたうえ、1期目よりも得票数を増やして当選できたことが本当に嬉しかったんです」。

Kazuo giving speech

2期目の市長選で街頭に立つ門馬さん

 アクシデントに見舞われながらも再選を果たせたのは、門馬さんが掲げる“100年のまちづくり”という指針が、南相馬市の未来に希望を感じさせたという理由も大きかったのかもしれません。では100年先の南相馬市とは、またそこまでに至る道のりとはどんなものか。後編では門馬さんが見据えるビジョンについてうかがいます。

◆プロフィール

門馬和夫(もんまかずお)

福島県南相馬市出身

東北大学工学部卒業後、原町市役所(合併後に南相馬市役所)に入職。2010年から南相馬市経済部長を務め、東日本大震災に遭う。その後2012年からは南相馬市立総合病院事務部長を務め、2014年に定年退職。地元である南相馬市の復興に取り組むため、同年11月の南相馬市議会議員選挙に初出馬で当選。2018年には南相馬市長となり、現在2期目を務める。

Kazuo Monma 2

※2023年2月現在の情報です。また、役職などは取材時のものです。