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門馬 和夫さん(後編)

Moderna - 02 August 2023

福島県 南相馬市市長 門馬和夫さん<後編>

東日本大震災による混乱の中、南相馬市の職員として復興に携わった門馬和夫さん。定年を迎え引退を選ぶこともできましたが、復興道半ばの状況を見て見ぬ振りはできないと一念発起。市議会議員という立場で復興事業に携わることを決意し出馬、当選を果たした。現在は2期目の市長を務めつつ、コロナ禍に見舞われながらも、未来の南相馬市を見据えた市政を敷いている。

Kazuo Monma speaking

<後編>

子が育ち、暮らしを受け継ぎ、世代を重ねて“100年のまち”

 門馬さんは政策として“100年のまちづくり”を掲げています。しかし今を生きる人にとって、100年は遥か未来のこと。そこまで思いを馳せるのは難しいかもしれません。では門馬さんはどのような観点から“100年のまちづくり”を発想したのでしょうか。

 「これには背景がありまして、18世紀後半に発生した天明の大飢饉の時代までさかのぼります。現在の南相馬市を含む一帯を治めていた奥州中村藩では、当時9万人いた人口が飢饉のために3万5千人にまで激減し、東日本大震災と同じ、あるいはそれ以上ともいえる被害を受けました。天明の飢饉、そしてその後の天保の飢饉の復興事業の基本理念となったのが、二宮尊徳が説いた『報徳仕法』です」。

statue

南相馬市役所の玄関に設置されている二宮尊徳像

報徳仕法は至誠、勤労、分度、推譲を中心思想とし、経済復興とともに領民の心を豊かにするという政策。南相馬市では『御仕法』として親しまれ、その思想は現在も脈々と受け継がれています。

 「天明・天保の大飢饉の後、中村藩は積極的に資金を拠出し、用水路や溜池の造成、家屋修理の資金援助、また加賀藩から移住者を募り、住居や生活費を援助するなど、御仕法に基づいた事業で復興を果たしました。実は私の家も加賀藩からの移住者の家系で、昔からその話を聞いていました。先人たちの苦労や尽力が語り継がれているということは、南相馬に生きる人々にとって精神的な拠り所になっているんでしょうね。そして今はまさに同じ状況です。震災で多くを失い、自信が持てない状況。10年、20年でそれを取り戻すのはなかなか難しい。ならば子や孫、さらに先の世代のためにという想いを込めた“100年のまちづくり”です」。

 御仕法は飢饉から人々を立ち直らせ、その後の南相馬市の礎となりました。100年先のまちの姿を思い描くことは御仕法と同様、南相馬市の指針となるはずです。では門馬さんのビジョンにある100年後の南相馬市とは、どのような姿なのでしょうか。

 「何も難しいことは言ってないんです。このあたりは親、子、孫と三世代・四世代で住んでいる家庭がたくさんありました。子どものうち何人かは都会に行きますが、一人ぐらいは地元に残って、残った子にまた子どもが産まれて南相馬市で暮らす。外に出てチャレンジする人がいてもいいし、地元に誇りを持って残り、代々の暮らしを受け継ぐ人もいる。そういう暮らしができるのがいいまち、いい社会だと思うんです」。

 あくまで南相馬市民の暮らしの在り方を中心に捉え、これまでの暮らしを取り戻したい、継続させたいという想いが込められているようです。しかし100年という単位はやはり遠大なもの。長期的な計画や、次代以降の市長に引き継ぐシステムも必要ではないでしょうか。

 「4年の任期の中で、そのときの市長がやるべきことをやれる体制であることが大切だと考えています。地方自治体では目指すべき都市像をまとめ、5年から10年を計画期間とする総合計画が策定されます。その計画期間を市長の任期に合わせて4年に変更したんです。南相馬市は震災を経験し、令和元年には大きな台風被害もありました。そして今はコロナ禍です。年々状況は変わりますし、2~3年先を想定した計画ですらうまくいかないこともあります。だからその時代に選ばれた市長が、適宜適切に4年間で力を発揮できるようにすること。それが“100年のまちづくり”の大前提です」。

 市政運営の基本方針の中に“100年”という意識を植え付けたうえで、世代を超えてつなぎ、積み重ね、南相馬市の未来をつくる。それはもしかすると門馬さんが思い描く姿とは多少異なるものかもしれません。しかしその時代を生きる市民にとっては、心地よく暮らせるまちとなっているはずです。


子育て世代や若者が希望を持ち、チャレンジできる環境づくり

 世代を重ねながら地域に根差した暮らしができるまちを目指す門馬さん。人と暮らしに焦点を絞った想いは、どのような政策として表れているのでしょうか。

 「南相馬市では震災による避難で働き世代が減少し、子どもが半減、出生数も半数になりました。若い世代の方々が増えなければ、まちは衰退してしまいます。この問題に対する答えの1つが、子育て世代に選ばれるまちづくりです」。

 あるアンケートでは子育て世代や若い世代が住みたいまちとして上位にランキングされるほど、現在の南相馬市は支援制度が充実しています。

 「前市長が保育料無料や18歳以下の医療費無料を実施したほか、私は幼稚園・保育園と小中学校の給食費を無償化しました。私がすべての種をまいたわけではないですし、ほかにも要因はあると思いますが、評価していただけたことは大変喜ばしいです。しかし、若い方が戻って来て定住してもらうためには総合的な政策が必要です。子育てはしやすいけれど仕事がない、教育レベルが心配、子どもを診てくれる病院がないというのではだめで、すべてが一定の水準を満たしていないといけません」。

🇯🇵Japan > Interview > Kazuo Monma Part 2 - pic 3

子どもたちと海岸の清掃活動をする門馬さん

門馬さんは総合的な政策のうちの1つとして、雇用創出にも尽力され、公務員時代に経済部長として企業誘致に携わっていた経験を生かして『フロンティアパーク(小高復興産業団地)』の整備事業を進めています。また南相馬市は県が整備した先進的な研究開発拠点『福島ロボットテストフィールド』も有し、市外から企業や人の流入が見込まれます。

 「誘致で来られた企業に働く方々に、定着していただくための整備も必要です。やがてここで結婚して、子どもが産まれて、子育てができる環境を整えないと。それに住居の確保もしないといけません。ということで空き家や空き地を登録して紹介する『空き家・空き地バンク』を立ち上げました。ただ南相馬市には大学がなく、通いやすい距離の範囲内にもありません。進学する若者は一度市外に出てしまうので、ここへ戻って来てくれるかどうかというハードルがあるんです」。

 南相馬市で育った若者が「地元に戻ってチャンレンジしたい」と意欲を燃やせる環境の整備も必要とのこと。フロンティアパークやロボットテストフィールドが、若者の活躍の場となることを期待されています。


粘り強く、回り道しても諦めない“つよさ”

 南相馬市では毎年7月、1000年以上にわたって受け継がれてきた伝統の祭『相馬野馬追』が催されています。騎馬武者が集結する甲冑競馬、神旗争奪戦といった勇壮な行事には市民も参加し、南相馬市の誇りともいえる祭礼です。しかし新型コロナウイルス感染症の影響で、2年間は開催規模を大幅に縮小。2022年になってやっと通常開催にこぎつけました。

 「約400騎の騎馬武者が列をなしてまちなかを練り歩き、メイン会場では御神旗めがけて大勢が密集するお祭りですから、コロナ禍では神社で行われる神事だけにとどめ、人が接触するような行事は中止していました。しかし新型コロナウイルス感染症の発生から2年が経ち、リスクに関する知見やその対策が確立されてきたこと、ワクチン接種が進んだこともあり、感染防止対策を講じれば開催できると判断しました。出場者を送り出すために親戚一同が集まる会食を控えてもらったほか、出陣式を取りやめるなど、いくつか制限を設けましたが、野馬追の関係者に感染者は出ず、無事に祭りを終えることができて安堵しました」。

 門馬さんご自身も祭りを熱望した市民の一人ではありますが、市長として再開しなければいけないというプレッシャーも感じていたそうです。

 「野馬追を続けるのは大変なんです。この日のために馬の世話をして、乗馬訓練もして、1年間モチベーションを維持しなければなりません。3年続けて甲冑競馬や神旗争奪戦ができないとなると、以降の参加者が激減してしまうと思いましたから、次代への継承という意味でも野馬追の再開は念願でした」。

 “100年のまちづくり”も相馬野馬追も、当然ながら市長一人の意志だけでは実現できません。市政に関わる職員、何より市民の納得と協力が必要です。多くの人々の先頭に立ち先導する者として、門馬さんは何を想うのでしょう。

 「ゴールにつながる道はいくつかあって、どの道を選んでも障害があり、思い通りにはいかないものです。だから柔軟に、粘り強く、諦めない。それしかないと思います。私は諦めが悪いんです。やらなければならないと思ったら、法的な規制や予算の限界があっても、遠回りでもいいからどうやれば実現できるかを考えます」。

 市長として求められる、コトを動かす力。門馬さんにとっては、創意工夫と諦めない心がその力、つよさを生み出す源泉のようです。

 「野馬追も新型コロナウイルス感染症のワクチン接種もそうですが、市民の皆さんの理解と力添えをいただけた背景として、被災地だからという部分が大きいと思います。震災当時は自身も支援を受ける一方で、誰かを手助けすることも多かったですし、避難所の暮らしでは気遣いも我慢も必要でした。だから助け合いの意識が強いんです」。

Kazuo Monma riding a horse

甲冑姿で騎乗する門馬さん

 市長として南相馬市の未来を築こうと奮闘する門馬さんですが、その意志は市民も変わらないはず。想いを同じくする市民の後押しも、門馬さんの力に、そして市政を動かすつよさの源になっているのかもしれません。

◆プロフィール

門馬和夫(もんまかずお)

福島県南相馬市出身

東北大学工学部卒業後、原町市役所(合併後に南相馬市役所)に入職。2010年から南相馬市経済部長を務め、東日本大震災に遭う。その後2012年からは南相馬市立総合病院事務部長を務め、2014年に定年退職。地元である南相馬市の復興に取り組むため、同年11月の南相馬市議会議員選挙に初出馬で当選。2018年には南相馬市長となり、現在2期目を務める。

Kazuo Monma 2

※2023年2月現在の情報です。また、役職などは取材時のものです。