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本間りえさん(後編)

Moderna - 28 March 2023

本間りえさん感謝の想いを胸に、挑戦し続けるつよさ<後編>

第一弾は、ALD(副腎白質ジストロフィー)を主とした患者会「認定特定非営利活動法人ALDの未来を考える会」と、通所事業所「一般社団法人うさぎのみみ」の創設者である本間りえさん。ご自身の長男がALD患者であった経験から、重症心身障害児者とその家族が地域の中で過ごせる居場所を提供しています。

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<後編>

息子さんのALD(副腎白質ジストロフィー)罹患を宣告された本間さんは、日本には患者会がないと知り自ら作ることを決意。前例のない在宅療養生活という困難を抱えながらも、病気の宣告から4年後に患者会を設立する。さらに2022(令和4)年には通所施設を設立。ご自身の体験から生まれた「患者さんとその家族を孤立させない」「重症児者がいる家庭でもその人らしい生活を送って欲しい」という理念に基づき活躍の場を広げている。

疲れ切ったときに見出した“感謝の念”がターニングポイント

 前例や既存の考え方に縛られず、たくさんの人に影響を与えながらALDを主とした患者会「認定特定非営利活動法人ALDの未来を考える会(A-future)」(以下、A-future)と、重症心身障害児者通所施設「一般社団法人うさぎのみみ」(以下、うさぎのみみ)を立ち上げ、自らの想いをかたちにしてきた本間さん。彼女の心に根差した“挑戦なくして前進なし”の言葉通りの行動力が、本間さんという人を表しているようです。しかし常に前向きであったかというと、決してそうではありません。

「息子の病気の宣告から十数年経った頃、死にたいと思っていた時期がありました。心も体もいっぱいいっぱいだったんだと思います。ちょうどその頃に交通事故に遭ったんです。自動車に跳ね飛ばされて半日ぐらい意識がなくて、気がついたら病院のベッドの上で。そのとき『助かってよかった』って思ったんです。あれだけ死にたいと思ってたのに、死ななくてよかったって。改めて生きててよかったと思うと自然と感謝の念が湧いてきて、人が生きるために必要なあらゆる物やコト、そして人に対して感謝の想いが深くなったんです」。

 一人では生きられないし、多くの人の助けや支援があったからこそいまがある。そう思うと、一人で抱え込むようにして生き、溜め込んでいた辛さが軽くなったそう。また同時期に心療内科の医師から「自分の時間を持ちなさい」とアドバイスを受けたこともあり、美容院に行ったり、毎日花を生けたりと、介護のためだけに費やしていた時間の使い方が変わったとのこと。それまでは、息子さんのことを誰かに見てもらうという罪悪感があったのですが、削ってきた自分のための時間を得たことで、介護と生活のバランスがとれるようになり、本間さんの変化を反映するように家庭の雰囲気も明るくなったといいます。

「事故の前はまだ、息子の病気はよくなる、元通りにできるという考えがどこかにありました。病気を受け入れているように見せて、実は受け入れ切れてなかったんでしょうね。親は子どもを自分の考えに沿うよう育てたいと思いがちですが、でも人生って思い通りにはならないですよね。寝たきりであっても、話ができなくても私の愛する息子です。そんな息子が私を導いてくれたんです。いまこうして生活し、活動できていることに、息子にも家族にも、そして助けてくれている多くの方々に感謝しています」。

 困難が現在につながる“挑戦”と“前進”へのターニングポイントとなり、以前よりも患者会の活動が活発になったほか、さまざまな講演会に積極的に参加し、そしていつしかご自身が演台に上るまでになりました。心境の変化が行動を変え、人を惹きつける輝きを放つきっかけになったのは間違いありません。

「夫に、私を花に例えたら何?って聞いたら、竹っていわれたんです。カサブランカとか言ってほしかったのに(笑)。でも夫がいうには『竹ってしなやかだよな。でもちょっと切れ目を入れると簡単に折れちゃうんだ。』って。よく見てますよね。私は鼻っ柱は強く見られますが、実は弱い。弱いんだけどがんばりたいタイプです。だから強くはなくても、かっこよくはありたいですね。しなやかで、たおやかで、『理事長っていつも笑顔だよね』っていわれるような。それが私のイメージするかっこよさです」。

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講演されている本間りえさん

純粋な願望が人を動かし、感謝が自身を動かす

 社会資源ともいえる本間さんの活動は、立場を同じくする人たちの大きな支えとなっています。一般的には社会貢献と呼ばれる活動のように思いますが、しかしご本人はその意識はないそう。

「いましていることは、私が苦労したからほかの誰かが苦労しないように、といういわゆる社会のために、との想いから始めたわけじゃなくて、純粋にこれがなかったら大変だなと思ったから。そして何より私自身が孤独で苦しかったからです。誰かと話したかったから、誰かと寄り添いたかったから、そういう場所を作りたかった。たまたまその場所がこういう事業体になっただけです。経験則的に、狙ってやることってことごくうまくいかないんですよ。誰かの講演で聞いたかっこいい言葉を、私の講演でアレンジして使おうとすると失敗します(笑)。自分で噛み砕いて身になった言葉や行動じゃないと、自分のものにならないし、人にも伝わらないですよね」。

 社会貢献はあくまで結果であり、軸にあるのは、『ないなら、作っちゃおう』という気持ち。単にエゴイスティックな願望ではなく、純粋な想いだからこそ「A-future」や「うさぎのみみ」といったかたちとなり、救われる人もいるのです。また純粋な願望が人を突き動かし、そういった人々が本間さんの活動に手を差し伸べることで、一人ではできないことも成し遂げられたのかもしれません。

「人って心が揺さぶられないと行動に移せないんですよ。本気でお願いしたら手弁当で助けてくださる人はたくさんいるんです。そういう人たちに対する感謝の想いが私を動かす力になりますし、一宿一飯の恩は一生の恩と思って、必ずこれまで受けたご厚意に報いようと決めています」。

 本間さんの活動は誰に頼まれたものでもありません。自身がそうしないといられなくて始め、その過程では試練もあり、失敗もし、その度に多くの賛同者を得、支えられてきました。その中で何よりの支えとなってくれたのは家族です。

 始まりは孤独から生まれた、誰かと寄り添える場所が欲しいという純粋な願望。その過程でたくさんの人と関わり、想いを伝え、自然と生まれた尽きない感謝。感謝の想いが膨らむにつれ、「立場を同じくする人々のために」という想いが純粋な願望に変わり、使命感として育っていったのでしょう。他者との関わりから生まれた使命感こそ、困難に立ち向かう本間さんの強さの源泉なのかもしれません。

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家族そろって記念写真

その人らしい生活のために、次のステージを目指す

 「うさぎのみみ」は医療スタッフとケアスタッフがしっかりと連携をしているので、医療的ケアを必要とする重症児者も安心して通える施設です。ほかにも理学療法士や言語聴覚士などセラピストによる発達支援を行い、ケアだけにとどまらないサービスを提供しています。医療法人や社会福祉法人のバックアップもなく、個人の想いから始めた活動でここまでの体制を築くのは、並大抵のことではありません。それでも本間さんにとってはまだまだ道の途中だといいます。

「将来的には隣にクリニックを併設していつでも診てもらえるようにしたいですね。それに日頃子どもを支えるご家族は疲れを溜めているはず。そんな人たちの休息の場として、レスパイト(一時入院)を受け入れられるようにしたいです」。

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2022年 重症児者多機能型通所事業所「うさぎのみみ」を開設

 とはいえ、いまは「うさぎのみみ」ができたばかりで毎日がてんやわんや。まずは運営を安定させるのが最優先と話します。将来の夢を尋ねてみると、素敵な夢の話が聞けました。

「実は…居場所になるカフェ&バーを開きたいんです。もともとコロナ以前は毎年うちでバーベキューをやったり、いろいろ人が集まる場を設けるのが好きだったので。そういう人が集まって語り合える居場所を作りたいんです。昔から文豪がカフェに集まって次回作の構想を話し合ったり、同好の士が集まるような場所ってありますよね。そういう感じの場所です。昼間はスタッフに任せて、夕方からシュッとかっこよく着物を着てお店に立つ、みたいなこともしてみたいですね(笑)」。

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「うさぎのみみ」のCREDO

 自身が病気を抱えている、あるいは家族に重症児者がいても、それぞれに生活があることに変わりありません。おしゃれをしたり、外食をしたり、お酒を楽しむことも、当たり前にある生活の一部です。病気や障がいがあっても当たり前のことができて、しかも同じ話題で語り合える人々が集まる場所。悩みや苦しみ、そして喜びも共感し、励まし合える場所は、医療や福祉とはまた違ったケアのかたちとなるのかもしれません。

「私たちのような人のことを知らない人に伝えたいという想いもあります。今までいろんな人に助けていただきましたし、日本にはまだまだ手を差し伸べてくれる人がいると思います。伝えることで協力してくれる人を増やして、その人たちも含めてみんなで楽しく過ごせる場所になればいいですね」。

 直近ではやるべきことがたくさんあると言う本間さんですが、その視線はご自身の今後と、行く末のケアの在り方までも見据えています。

「ホスピスのような施設が必要ですね。私がおばあちゃんになっても息子を見守ってくれるスタッフがいる場所で、夫婦と息子と一緒に最期のときまで暮らす。それが私にとってのゴールです」。

 ゴールまでの道のりの中でいまはどの地点かと聞くと、3合目とのこと。まだまだ長い道のりであることは否めませんが、決して不可能とは思いません。なぜなら本間さんにはこれまでの活動と成果、そして本間さんを支える多くの人たちの存在があるから。人を動かし、何より自身を奮い立たせる純粋な使命感があるからこそ、必ずゴールまでたどり着けると信じられるのです。

◆ALDとは

ALD(副腎白質ジストロフィー)は脳や脊髄にある中枢神経系と、腎臓の上にある副腎の機能不全を特徴とする疾患。主に男性に起こる遺伝性疾患で、小児で発症した場合は知能低下、行動の異常などが見られ、治療を施さなければ1~2年で終日臥床状態となる。女性保因者も、加齢とともに軽度の歩行障害をきたすことがある。

◆プロフィール

本間りえ(ほんまりえ)

神奈川県横浜市出身

長男の副腎白質ジストロフィー(ALD)発症をきっかけに2000(平成12)年、日本で初めてALD患者の家族会を発足し、のちに「認定特定非営利活動法人ALDの未来を考える会」となる。患者とその家族のケアに携わるほか、現在は東京慈恵会医科大学の臨床研究審査委員会で委員を務めている。2022(令和4)年には通所事業所「一般社団法人うさぎのみみ」を設立し、重症心身障害児者が地域の中で過ごせる居場所を提供している。

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認定特定非営利活動法人ALDの未来を考える会(A-future) https://ald-family.com/

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一般社団法人うさぎのみみ https://usagino-mimi.net/